ilovekidsの日記

5人の子育て真っ最中ママが、日々感じたことを正直に綴っていきます。

四男の就学前の療育③

4歳になり、新年度は区立T幼稚園と、通園型施設M学園にお世話になった。

 

現在も両方の園に通っている最中なので、感想とか考えがまとまっていない。

今のところの気持ちや、印象的だったことを書いてみる。

 

月・火はT幼稚園

水・木・金はM学園

T幼稚園の行事がある時は、そちらを優先する

 

このような形で新年度はスタートした。

 

T幼稚園は9時から、M学園は10時からと少しタイムラグがあり、ゆっくりなM学園の方が週3回と多かったので、少しリラックスできたが、

幼稚園の日はお弁当も用意したりするので、登園するのがバタバタと大変だった。

 

また、M学園へは自転車で行けるが、T幼稚園は園の決まりで徒歩で行かなければならず、園服を着た四男をバギーに乗せて歩くことに、最初は抵抗を感じた。

すれ違う通行人の目がとても気になってしまった。

 

しかし、四男は行きたい目的がないと歩かず、座り込んでしまうので、結局はおんぶや抱っこをすることになる。

無理してバギー無しで登園してみれば、園に着く頃には私は汗だくになった。

 

それでT幼稚園に行くのが大変だと私は感じることが多くなった。

幼稚園に行く目的をいつもモヤモヤと考えながら通園していた。

 

 

 

四男本人は2つの園生活に慣れるまで2ヶ月くらいかかった。

 

T幼稚園に登園すると、正門のところで介助の先生に引き渡し、私が中まで入ることは用がない限りなかった。

だいぶ慣れてからも、朝はバギーから降りるのを拒んだり、園の敷地に入りたがらない様子が見受けられた。

たまに機嫌よく中に歩いて入って行くと、ホッとして見送ることができたが、本当に珍しいことだった。

 

M学園の場合は、登園すると保育室まで私が連れて行く。

身支度をして遊び始めたら私は帰ろうとするのだが、それを四男は見逃さず、私の手を掴んで離そうとしなかった。

なかなか帰ることができなくて、20分くらい部屋に一緒にいたこともあった。

結局は四男が手を離した隙に、さっと帰るのだが、四男はすぐに気づいて泣いてしまった。

大きな泣き声が玄関まで聞こえていた。

でも、20分くらい泣くと落ち着いて、遊びに集中できたようだったので、切り替えの練習にはなった。

 

 

T幼稚園では、色々なことに挑戦させてもらった。

運動会や発表会のほかに、おつかいや当番の仕事もやらせてもらい、幼稚園ならではの経験をすることができた。

日々の活動は行事に向けて変化するので、遊びたいときに遊べない場合には、泣いたりしたようだった。

 

M学園では、落ち着いた活動内容で、ゆったりペースでだいたい同じことをするので、リラックスできるようだった。

お迎えに行くといつもニコニコで、ご機嫌だった。

 

 

一年の終わり頃、M学園で茶話会があった。

各学年の保護者が集まり、卒園児の保護者も数名来ていた。

会の後半、小さい子たちの保護者が卒園児と年長児の保護者に質問して、経験談を聞くような内容になった。

 

幼稚園に入園を考えている人が多く、その日の出席者の中で幼稚園も併用していたのはたまたま私だけだったので、私は介助員のことなど色々と答えたが、他の保護者(幼稚園併用せず、M学園のみ)たちの意見に掻き消されたような印象を受けた。

みんな、自分の選択を正当化したいという感じがした。

 

ある人は、幼稚園入園手続きを進めていたが、ギリギリになって入園しないことを決めてM学園一本にしたそうだ。

彼女は、「自分の子を守ることを優先した」と言った。

その言葉には数日間モヤモヤさせられた。

 

私がそこまで四男を幼稚園に行かせたかった理由。

数日間考えて、浮かんできたのは「リベンジ」。

四男は私立幼稚園を2ヶ月で退園した経験がある。

幼稚園を卒園させたいという思いは、私の中に根強く残っていたのだ。

 

でも、普通級に行かせたいというのとは違う。

小学校は特別支援学校にと考えていたので、あの閉鎖的な空間(当時はネガディブに捉えていた)で9年間過ごすなら、その前に幼稚園で色々な経験をさせたいという思いが一番だった。

 

私自身、自分の選択が正しいかどうかはわからない。

ただ、前に進むのみ。

無理だと判断したら、そこから変えていけばいい。

 

やらずに後悔することは避けたかった。

 

 

 

 

年長になるにあたり、登園ペースを変えることを考えた。

 

幼稚園には慣れたし、年長になると色々とイベントが増えるので、もう少し登園日を増やしたいと思ったのだ。

 

幼稚園の担任に相談した結果、新年度から週3日に増やしてみることにした。

 

M学園には頼りになるベテラン先生がいたのだが、3月に退職し、魅力が減った感じもしていた。

 

そして、幼稚園の修了対策委員を引き受けたこともあり、幼稚園の比重が大きい一年となった。

 

 

週3日、幼稚園に通うと、送迎のしんどい感じはだいぶ軽減された。

 

なぜなら、バギーに乗せることについて、人目を気にするのをやめたから。

 

大事なことは、本人が気分良く登園すること。

 

健常な子たちと関わる中で、私の障害受容もだいぶ進歩し、うちはうちと割り切って振る舞うことができるようになったのだと思う。

 

これはT幼稚園のおかげで得られた成長だと思っている。

 

担任の先生はとても熱心で、M学園での四男の様子を夏休みに見学に行ってくれたり、園生活の中で四男の興味の持てるものを色々と用意してくれたり、多忙な中、よく工夫された手作りのおもちゃも作ってくれた。

 

 

面談はもちろん、それ以外にも個別に話をする時間をよく取ってくれる。

 

ちょっとしたことでも、判断に迷うと私に相談してから決めてくれるので、とても安心できた。

 

介助の先生はほとんど同じ方が受け持ってくれた。

シフトの関係で、たまに違う先生が朝迎えてくれると、四男は途端に泣き出したり、行きたくない表現があった。

それくらい、信頼関係が築かれている。

 

担任も介助の先生も、発達障害、特に自閉症について調べてくれているようだった。

 

専門知識が少なくても、一緒に過ごす時間の中で四男のことを理解し、気持ちを汲んでくれている。

 

限られた保育時間の中で、四男が確実に成長していると感じることができているのは、先生方のおかげなのだ。

 

 

 

年長の12月、幼稚園で毎月恒例の誕生会があり、私はお誕生生の母として参加した。

 

舞台のあるホールで、後ろに保護者たちが座って待つと、前に子供たちが入ってきて座った。

 

会が始まり、お誕生生が舞台に上がる。

 

四男はお友だちに手を引かれて、一緒に舞台に上がった。

 

介助員や担任ではなく、お友だちに手を引かれる方が、歩ける傾向があると担任からは以前から聞いていた。

 

しかし実際にその姿を見たのは初めてで、なんだか感動して涙が出てきた。

 

もうそこからは、終始ウルウルしてしまい、6歳を迎えた四男の成長を心からありがたく思った。

 

 

 

 

 

40歳でも泳ぎます

30代最後の日、一人で歩いて買い物に出たので、歩きながら一年を少し振り返りました。

 

とにかく忙しい年でした。

 

子どもの学校や幼稚園、未就園児の親子体操クラブでもお役目をいただき、次から次へと仕事をこなしていた印象です。

どれも中途半端で他の皆さんに助けられましたが…

 

細かいことは思い出せないので、帰宅後に手帳を見返しました。

 

やはり、大きなイベントはなかったものの、役員の仕事や行事でいっぱいでした。

 

前半では、三男がまだサッカークラブに所属していたので、週末は試合などで忙しかったのを思い出しました。

 

そんな中、ここ数年で一番の収穫があったことに気付きました。

 

以前にこのブログでも書きましたが、水泳を始めたこと。

 

ブログに書いたのは、水着を買って初めて温水プールに行った日のことでしたが、その後もずっと継続してプールに通っています。

 

週末、1時間泳ぐのが楽しみになっていて、もちろん子どもと一緒に行くのも楽しいけど、一人でひたすら泳ぐのが気持ちよくて。

 

最初は200m毎に休憩して、500m泳げば満足だったけど、今では1kmを目標にしています。

今日も1.1km泳いできました。

 

体の調子がイマイチな時は、無理せず疲れたらおしまいにしています。

 

子どもと一緒に行った時は、目標の半分くらいしか泳げないけど、それでも良しとしています。

 

少し物足りないくらいが、続けるためにはちょうど良いのかもしれません。

 

これから更年期も迎えるので、体力はできるだけキープしたい。

 

温水プールに来ている方は、結構年配の方々も多いので、年を取っても行きやすいのがありがたいです。

 

頑張りすぎず、これからも楽しく続けていきたいなあ。

 

四男の就学前の療育②

さて、福祉センターの療育を約4ヶ月で卒業し、次にお世話になったのは、児童発達支援デイサービスK。

母体は中規模の社会福祉法人で、就学後や成人になっても利用できそうな施設。

 

(第一希望は老舗療育施設M学園だったが、昼間の部は定員いっぱいで入れなかった。)

 

Kは設立して1年が経ったばかりという新しい施設だった。

スタッフも手探りでやっている感じは否めなかったが、とても親身になって話を聞いてくれて、子供への対応も丁寧だった。

 

放課後デイサービスも併設しており、そちらは盛況だったが、児童発達支援の方は利用している人数も少なく、手厚い支援を受けられることが期待できた。

週に4回の営業日、すべて利用した。

スタッフ3人に対し、うちの子1人だけという日も結構あった。

 

福祉センターのキチキチと決まったプログラムをこなす感じはほとんどなく、反対に、生活をする中で関わりを持って学ぶ、ゆるい感じ。

 

当時の私は療育に関する知識がなく、他の施設のこともよく知らなかったのが、かえってよかった。

心から信頼して預けることができた。

自宅まで車で送迎してくれたので、0歳児を抱えていた私は身も心も本当に助けられた。

 

四男はKで色々な経験をした。

 

新しくて割と広めな施設だったが、室内だけでなく、あちこちの公園に連れて行ってもらい、たくさん歩いたり遊ぶことができた。

 

週に一度リズム療育の日もあり、大好きな音楽遊びも楽しんだ。

(やさいのうたが大好きだったな。

こぶじいさんのアンパンマンバージョンも、よく一緒に歌った。)

 

沢山の絵本を読んでもらい、お気に入りの絵本を見つけた。

はらぺこあおむし、だるまさんシリーズなど。

 

はらぺこあおむしの歌を覚えたのは送迎車の中で聞いたことがきっかけだった。

(その後、区立幼稚園に入ってからyoutubeで繰り返し聞いているうちに覚えて、「きんよーび」と歌えるようになった。)

 

朝、車に乗るときに嫌がることは一度もなかった。

行けば楽しいことができると理解していたのだと思う。

今日は何をするのかと、ワクワクしているようにも見えた。

 

スタッフの方たちは四男の特性をよく理解してくれていた。

しかし、介護の現場と同様、スタッフの入れ替わりが頻繁だった。

よく面倒を見てくれた人が辞めてしまう時は、結構切なかった。

施設長はこの5年間で6人目だそうだ。

施設の不安定さは少しだけ引っかかっていた。

 

でも背に腹はかえられぬ。預け先が他にない以上、利用するしかない。

四男は通い慣れていたし、そのまま就学までKで過ごすのも悪くない選択だった。

 

Kの保育士の中に、障害児を持つ保護者でもあるYさんがいた。

Yさんは3人の娘さんのお母さんで、3番目の子が自閉症を抱えている。

当時小学4年生で、うちの四男も通うことになる特別支援学校に通っていた。

 

私と同世代のYさんには色々な相談をしやすかった。

次年度の就園問題についてもかなり相談に乗ってもらった。

 

区立幼稚園では介助が必要な子供に介助員が付いて見てくれる。

私立幼稚園を2ヶ月で退園した経験は、私の中で大きな心の傷となっていた。

四男を区立幼稚園に入れて、幼稚園ならではの経験をさせて、できれば卒園まで過ごしたいという思いがあった。

 

しかし、老舗療育施設M学園を次年度から利用することができるかもしれないと言われ、そちらも行きたいと思っていた。

四男には療育が必要。

療育を優先して受けさせることが大事だということは揺るぎない事実。

 

M学園を利用できることは確定ではなかった中で、区立幼稚園に挑戦するかどうか、とても悩んだ。

どちらにしても環境がガラリと変わることになる。

通い慣れたKにはほとんど来られなくなるだろう。

 

Yさんの三女は、M学園に通っていたそうで、生活の中で学ぶという療育だから、Kでもいいような気がすると言われた。

しかし、障害児の先輩ママさんたち、特別支援学校に通っている子はM学園の出身であることが多く、M学園ってどんなところなのか興味があった。

M学園には通う前から安心感があったのだ。

 

Yさんの長女次女は、うちの近くの区立幼稚園を出ていた。

ラッキーなことに、区立幼稚園の様子についても色々と話を聞くことができた。

 

介助員が必要な子は毎年一定数いて、そういう子は当たり前の存在なのだそうだ。

区立幼稚園から特別支援学校に上がる子もたくさんいるようで、安心した。

それまで私のイメージでは、普通級に行かせたい親が区立幼稚園を選ぶのかなと思っていたので、そうではない私が区立幼稚園を選んでもよいのだろうかという思いが払拭された。

 

幼稚園については夫にも相談した。

基本的には私に任せていたが、四男を区立幼稚園に行かせる意味がわからないようだった。

しかし、挑戦したいという気持ちは尊重してくれて、受け入れてもらえるのなら挑戦してみてもいいのではと言ってくれた。

 

Yさんの話を聞いていると、三女も幼稚園に行かせればよかったという後悔を感じた。

幼稚園にはお世話好きの女の子たちが必ず数人はいるはずなので、身の回りのことを手伝ってもらえるだろうし、介助員がいるのだから幼稚園でも大丈夫だったのでは、と。

私は挑戦せずに後悔するのだけは避けたかった。

だめだったら、Kに戻ればいい。

 

9月の区立幼稚園の申込みの頃には、週2回は幼稚園で、週3回はM学園で過ごすという計画を立てた。

 

区立T幼稚園は抽選もなく入園が決まり、介助の必要があるので個別に面談などをした。

副園長との面談では、幼稚園は療育ではないので、利用している療育は継続してくださいと言われた。

 

T園に入園が決まってから、Kでは幼稚園生活を意識した活動が始まった。

朝の身支度を練習したり、お弁当を一人で食べたり。

私たちの挑戦を応援してくれた。

 

 

 

その頃、私の中高時代の同級生の紹介で、とある福祉専門学校の言語相談室を訪れ、定期的に通っていた。

 

大人の吃音などを専門としているところで、子ども向けの知育玩具なども置かれており、先生と向き合って課題に取り組み、やり取りの中からコミュニケーションを学んだ。

 

指差しをするように先生がやって見せたり、人の指示で行動することなどを意識した療育だった。

 

とても勉強になるやり取りが多々あり、数ヶ月に一度訪れては先生に色々と近況を報告し、先のことの相談にも乗ってくれた。

幼稚園2、M学園3で行く計画にも、とても賛成してくれたし、決まったことを喜んでくれた。

 

 

そうして信頼する人たちにも後押ししてもらい、新年度は新しい生活が始まる。

T幼稚園とM学園については次回。

 

 

四男の就学前の療育①

四男は先日6歳になった年長さん。

3歳児健診の後に知的障害を伴う自閉症スペクトラムと診断された。

 

療育について色々と書きたいことはあったけど、なかなかまとまらなさそうだったので、手を付けずに今まで来てしまった。

 

来春から特別支援学校に入学するのを機に、利用する療育も変わってくるということで、就学前の療育について、体験談を少しまとめてみようと思う。

 

まずは3歳児健診の後、区の福祉センターで発達検査を受け、診断を受けたと同時に、すぐにスタートするよう勧められたのが最初の療育だ。

福祉センターでは就学前の子供たちを対象に、数名のグループで受ける療育や個別に受ける療育が行われている。

四男はグループ療育を週一回受けるよう言われた。

 

療育を受ける子以外は連れて行けないという決まりがあり、生後3ヶ月の長女を義母(当時住み込みで働いていた)に無理を言って預け、何もわからないまま、2月の終わる頃、指定された日時に福祉センターに行った。

 

そこでの療育は親子で一緒に受けるもので、一回1時間ほど、決まったプログラムに沿って時間通りに色々なことをした。

 

最初から印象的だったのは、一つ一つのプログラムの終わりに先生が「おしまい」のサイン(後にマカトンサインと知る)をすることだった。

切り替えの苦手な子が多いので、次のプログラムに移るための配慮だった。

 

この「おしまい」サインは今でも使用している。

四男もよく理解しているし、切替が難しい場面でもパニックが最小限に抑えられるような気がする。

 

プログラムの一つに用意されたおもちゃで自由に遊ばせらというのがあり、そこでは関わり方の工夫を教わることができた。

衝撃だった。

子供と一緒に遊ぶのにこんなに頭を使うなんて。

 

四男が遊びの中でやろうとしていることを読み取り、それを手助けしたり、逆に邪魔をしたり、敢えてワンクッション入れて「どうぞ」などのコミュニケーションを取ったり。

 

当時は人と目を合わせなかった四男に、人を意識させるために、そのような工夫を遊びながらするなんて、放ったらかし育児専門の私にはとても難しいことに思えたし、とても勉強になった。

 

長女のことはファミリーサポートの方に預けられるようになり、毎週自転車で通うのにも慣れてきた頃、四男は兄たちと同じ近所の私立幼稚園に入園した。

週一回の療育は継続しつつ、幼稚園での生活も始まったが、介助員を入れない幼稚園なので、先生を一人独占してしまう形になり、5月の終わりに退園するよう告げられ、その日を最後に退園した。

 

その頃にはグループ療育で親子分離の時間を持つようになり、その間他のお母さんたちとの交流の時間が少しだけあった。

色々な体験談などを聞き、障害の大変さを感じたし、共感してくれる人がいることがいることが嬉しかった。

 

他のお母さんたちと仲良くなってきたし、グループ療育は楽しみであったけど、たったの1時間のために片道25分の道のりは遠く、産後間もなかったこともあって、私は段々に疲弊していった。

 

幼稚園はたったの2ヶ月だったけど、ほんの数時間でも四男を預かってもらえてとても助かった。

四男を連れてだと、銀行に振り込みに行くことすらためらっていたから。

だから、どこか四男を預かってくれる施設はないかと考えるようになった。

 

グループ療育の担当の先生に、幼稚園を退園したことを告げ、その後のことを相談すると、通園型の療育施設をいくつか紹介してくれた。

自宅から近い施設から電話で問い合わせ、見学の予約をし、7月から送迎付きのデイサービスを利用することに決めた。

まだ新しい施設で、建物はピカピカ、中規模の法人が運営しているので安心感はあった。

 

福祉センターの療育も継続するかどうか、悩んだ末に6月いっぱいで辞めることにした。

曜日ごとに違うと、本人が混乱する可能性があるから、一ヶ所に絞った方がいいと先生に助言され、そんなものかと従うことにした。

 

他のお母さんたちに辞めることを報告すると、長くグループ療育を受けていたお母さんに、「みんなそうやって辞めていくんだよ」と言われた。

一度辞めると戻れないので、辞めるのを躊躇う人も多いそうだ。

当時の私は他の療育を知らなかったので、福祉センターの療育がいかにキチキチとしていたか、今になってみるとあのような療育はなかなかないのではないかと思う。

先生も熟練した方が何人もいて、とても信頼できた。

 

しかし、その信頼する先生に言われたことだから、間違ってはいないと信じて進むことにした。

 

「皆さん続けようとしてくださるけど、ここは療育の入り口。お母さんが無理してまで続けることはない。四男ちゃんは新しい環境に慣れるし、そこで学んでいきますよ。」

 

療育を必要とする方は他にもたくさんいるから、枠を空けてほしいのかなとも思った。

 

ともかく、福祉センターの療育はとてもためになったけど、私の都合により辞めることになり、児童デイサービスでの日々が始まる。

長くなったので続きはまた今度。

 

 

長男のストレス

長男はストレスを抱え込みやすいタイプなのだろう。

体の不調はストレスから来るものが大きい。

 

長男とは正反対の性格で、起立性調節障害(朝起きられない)にも理解がない父親が、長男にとって最大のストレスであろうと私は勝手に思い込んでいたが、本人に聞くと、父親のことは小さな事であるそうだ。

 

何がストレスかというと、弟たちがうるさいこと。

 

特に四男のiPadの大音量のyoutubeの音が苦痛だと聞いて、胸が痛んだ。

イヤホンも試したが、次々と断線させてしまい、ついには本体のイヤホンジャックが壊れてしまった。

対策が難しく、私はだいぶ慣れたが、彼にとっては我慢できないもののようだ。

 

長男は、同じクラスには仲の良い友達がいないようだが、幼稚園の頃に一緒だったA君とはよく遊んでいる。

A君は三人兄弟の年が離れた末っ子で、ご両親は達観していて、いい意味で放任主義

1人の部屋で趣味のゲームPCをカスタマイズしてネット通信しながら遊んだり、元youtuberなこともあり楽しい動画を閲覧して楽しんでいるらしい。

 

大人世代からすると、やっていることはただのオタクのようだが、とても素直で明るくて優しいA君は、典型的な暗いオタクとは正反対のタイプ。

 

滅多に怒らないというお母様は、A君の友達が何人も押しかけても、嫌な顔せずに迎え入れてくれるらしい。

 

長男は何日も続けて夜まで入り浸ったりしているので、A君の家族も長男がいるのが当たり前になっているようだ。

私はさすがに申し訳ないので、たまに果物や野菜などおすそ分けしている。

 

そんな居心地の良いA君の部屋で、長男は現実逃避をしているのかもしれない。

帰る時間になっても帰ることができない。

夢中になりすぎてしまう。

家に帰るのが遅くなると、父親に叱られるのを予測して、家に入ることができない。

しばらくウロウロしていると、長男を探しに出た私に見つかり、仕方なく家路につく。

しかし家の前に立つと、酔った父親の怒鳴り声が聞こえてきて、また怖くなり、家に入れない。

 

そんなことを何度か繰り返し、実際何度も父親に叱られていたが、ある時近くに住む祖母のことを思い出し、祖母のアパートに逃げ込むようになった。

 

祖母はうるさく小言を言うこともなく、優しく迎え入れてくれた。

鬱陶しい弟たちもいない静かな部屋で、長男はリラックスできたのだろうか。

 

大抵は次の日の午後になると帰ってきたが、一度だけ3日間帰ってこなかった。

その時は、父親が狭心症で入院することが決まり、それ以前に3週間ほど風邪をこじらせて彼は仕事を休んでいたため、私は相当ストレスがたまっていた。

 

風邪で肺炎になったかと思ったら、狭心症ですぐに手術が必要と言われたという父親。

心筋梗塞の一歩手前の状態で、大事な動脈が9割詰まっていた。

いっそ死んでしまえばよかったのにと本気で思ったほど、私には余裕がなくなっていた。

 

そんな時に長男にもあれこれうるさく声をかけていた。

時には怒鳴ったりもしていた。

自分でも止められなかったが、長男は黙って聞いていた。

そして、祖母の部屋に家出したのだ。

 

その時は、電話には出たので、数回話をして、LINEで冷静に考えながらやり取りをして、どうにかうちに連れて帰った。

言葉では言えないけど、LINEでは怒鳴ったりしたことを謝ったし、帰ってこなくて心配したことも伝えた。

 

そして、長男には一人になれる部屋が必要と思い、私の仕事部屋兼物置になっている部屋を急遽片付け、布団を敷き、そこで一人で寝るように言った。

一人で寝るのは3日ほど試したが、みんなと一緒の方が寝られると言うので、また寝室は一緒になった。

 

スクールカウンセラーと相談して、スマホは夜10時まで使ってよいことにして、早朝5時からやるのはダメということにした。

スマホは夜8〜10時くらいにみんな通信しているようだったので、友だちとの付き合いもあるだろうから渡すことにした。

10時になったら私が預かった。

 

だんだんとスマホにのめり込んでいき、10時を過ぎたので受け取りに行くと、なかなか止めようとしない時があった。

私が受け取り忘れて、そのまま深夜までやり続けていたこともあった。

深夜までやっていた時は、さすがに叱って取り上げて、一週間預かることにしたが、3日にしてと懇願され、3日後に渡した。

 

スマホを取り上げられている間は、起きても何もすることがないと言わんばかりに、眠り続けた。

スマホがないことがストレスになってしまうようだった。

 

ネットで調べたところ、思春期の子からスマホを取り上げてしまうのはあまり良くないことだという意見が多く見受けられた。

反発心を余計に大きくさせるだけでなく、反動も大きい恐れがあるからだ。

 

そうは言っても、スマホがあるからやりたくなるのであって、約束を守れないなら取り上げたくなるのが親の心情。

 

これまでも、ゲームの時間を大幅にオーバーしたり、それを繰り返したりしたら、ゲーム禁止にしてきた。

それも一度の禁止期間が父親の気が済むまで何ヶ月も続くこともザラにあった。

 

何ヶ月も続くと、さすがに子供たちもゲームのない生活に慣れてしまうのだけど、クリスマスなどで新しいソフトが手に入り、ゲームが解禁されると反動がすごかった。

机の中に隠れて朝からやる子もいるほど。

だから、程よい距離感を保つことの難しさは感じている。

 

本人も、まだスマホ初心者なので、色々と体感しながら学んでいくのだろうけど、かなり危なっかしい。

 

過集中というワードは、先日の発達障害セミナーで初めて知った。

まさにそれだと思った。

時間も忘れ、止まなければならないことも忘れ、ただただ没頭してしまうのだ。

自分でもコントロールできないのなら、それは障害とか病気と言ってもいいのではないかと思う。

 

やっぱり長男は自閉傾向が強いグレーゾーンの子。

この歳になって検査を受けて診断されても辛いだろうから、私の心の中にとどめておくつもりだけど。

(私自身もかなり怪しいが、我が子が発達障害と診断されたことがきっかけで気づいた程度で、生きづらいとか、困った感じはあまりなかった)

 

そういう特性も理解しつつ、彼のストレスをできるだけ軽くできるように、これから工夫が必要だ。

長男の障害

中学2年の長男が、2ヶ月ほど前に起立性調節障害と診断された。

 

 

朝が弱いのは小学校高学年の頃から。

始業のチャイムに間に合わず、授業中もたまに居眠りしていると当時の担任に言われていた。

 

中学1年になり、寝坊する頻度が増えて

始業から20〜30分くらい遅刻することが出てきた。

それでもどうにか出席はできていた。

 

中学2年になり、朝起こしても全く起きない日が出てきた。

もう、本当に爆睡。

夜は8時までしかスマホは見ていないのに。

 

四男の幼稚園に行く時間に一緒に出るようになったり、だんだんと起きる時間が遅くなっていった。

 

何気なくスマホで「中2 朝起きない」などと検索してみると、意外と沢山の関連記事がでてきた。

その中で、「起立性調節障害」というものを知り、症状が重なる部分が多かったので、きっとこれに違いないと思い始めた。

 

我が家から一番近くにあるU小児科を受診した時、そのことを話した。

U先生は、余程でない限り検査などはせず、「病名をつけたからって治るものでもないし」というタイプ。

その時は机の上の分厚い医学書を取り出し、起立性調節障害についてその場で確認し、朝服用する昇圧剤を処方してくれた。(その薬は今でもH先生に処方されて服用している)

 

しかし長男は薬を飲むのが苦手。

車の酔い止め薬を飲もうとすると、車に酔ったときのことを思い出すらしく、吐いてしまう。

それを連想するのか、錠剤はすべて苦手になってしまっていた。

ただでさえ朝は具合が悪いので、薬など口にできる状態ではなく、その時に処方された分はほとんど手をつけず、放置していた。

 

中2の2学期になり、10時過ぎに起きるようになった。

ただ眠いのではなく、気持ち悪いと言う。

風邪で咳も酷かったので、まずは風邪を治すべく、近くのいつも混んでいるH小児科を受診した。

 

H先生は、症状を説明すると、「起立性調節障害っていうのだね」とすぐに診断した。

障害の度合を調べるテスト(質問票)をやってみると、かなり強めに症状が出ているようだった。

 

風邪薬の他に、昇圧剤を処方された。

その際、朝は錠剤を飲みづらいことを伝えると、口の中で溶かして飲むタイプの薬を出してくれた。

 

3日ほど経ち、薬があまり効かないので、H先生に相談して、朝飲む量を2倍に増やした。

寝付きも悪いので、睡眠導入剤も処方してもらった。

 

さらに1週間ほど経ったが、昼頃まで起きられず、また薬の種類を変えてもらった。

 

H先生によると、昇圧剤も睡眠導入剤も、使用できるものがそれぞれ2種類くらいしかなく、量を調節しながら様子を見るしかないそうだ。

 

一度、大きな医療センターを紹介するかどうかという話になったが、どこに行っても結局対策は同じようなものらしいので、わざわざ行かずに今はまだ様子を見るしかないのが何とも歯痒い。

 

それでも、苦手な錠剤を朝晩頑張って飲み続けているので、私もカリカリせずに見守る姿勢を取っている。

 

遊びに行く時や、弟がゲームをやっている時は午前中からケロッとして起きていることもあるので、気持ちの問題も大いにあるのではないかと思う。

 

ストレスを抱え込みやすいタイプなのだろう。

彼のストレスについては長くなるので、別の機会に。

 

 

三男 水泳に開眼

週末、1時間の温水プール通いを始めて5ヶ月経った。

 

1人で行けば、思う存分泳げるから、

40分ほどでヘトヘトになり、満足して帰るのだけど、

 

週末は親子連れが多いから、

我が子を連れて来なかったことを後悔することもあり

 

行くときには次男三男には声をかけて、誘ってみたりもする。

 

スイミングを習っている次男は、月に一度くらいは付き合ってくれる。

 

家のビニールプールは大好きで、サッカーなど活発なイメージの三男も、

一度付き合ってくれたのだけど、

 

なんと、まさかの泳げない、

浮かぶこともできない、

足がつかないと怖いという…

 

あんなに楽しいウォータースライダーも、怖くて断念。

 

小3の我が子が全く泳げないということが衝撃だったと同時に、

 

このマイブームが来るまで、

私は水着なんて着られるわけがないと思って、

プールなどに無縁だったせいだと反省。

 

少しずつでもプールに慣れてもらいたいと、

何度も三男を誘って、

怖くない場所で浮く練習から始めた。

 

そして、ちょっとだけプールが楽しくなってきた夏休み、

次男が通うスイミングスクールの短期教室に、三男も通ってみることに。

 

泳げるようになりたいから、自ら「行きたい」と。

 

初日は、ビート板を使って顔を水につけて蹴伸びをする班に割り振られたものの、

後半に水慣れの班に移動。

 

何しろ恐怖心が強くて体が伸びない、

浅いところでなら怖くないということを、

終わってから先生に伝えた。

 

2日目、また蹴伸びの班でスタート。

怖くないように、底に台がある浅い部分で教えてくれていた。

そして、本人の気持ちを随時確認しながら、

スモールステップで実践した結果、

どんどん出来るようになっていった。

 

3日目、別人のようになった彼は、

すでに楽しくて仕方ないようだった。

ビート板無しでも蹴伸びができるようになっていた。

 

終わると、「これから温水プールに行きたい」と言うほどだった。

温水プールはもちろん付き合った。

 

4日目最終日、練習の後、確認テストがあった。

私は見られなかったけど、

見ていたお友だちママが、とても上手だったと教えてくれた。

 

その日も、終わってから温水プールに行った。

バタ足はまだまだなので、

少しサポートしたら25mを泳ぎ切った。

 

もっと泳げるようになりたいと、思ってくれたことが嬉しい。

 

先生も、次男が怖がる厳しめの男性コーチだったけど、

優しく教えてくれたみたいで、

三男はすっかりファンになっているよう。

 

最終日翌日の今日、スイミングを習って、上手くなって、

スイミングのコーチになりたいとまで言っている。

 

なぜかというと、自分は全然泳げなかったけど、

お母さんと一緒に練習して泳げるようになったんだと生徒に話したら、

生徒は頑張れると思うから。だって。泣

 

これから、週2回のスイミングスクールに通う予定。

 

このやる気がいつまで続くかわからないけど、

今回の自信をつけた経験は忘れないでほしいな。