四男の就学前の療育②
さて、福祉センターの療育を約4ヶ月で卒業し、次にお世話になったのは、児童発達支援デイサービスK。
母体は中規模の社会福祉法人で、就学後や成人になっても利用できそうな施設。
(第一希望は老舗療育施設M学園だったが、昼間の部は定員いっぱいで入れなかった。)
Kは設立して1年が経ったばかりという新しい施設だった。
スタッフも手探りでやっている感じは否めなかったが、とても親身になって話を聞いてくれて、子供への対応も丁寧だった。
放課後デイサービスも併設しており、そちらは盛況だったが、児童発達支援の方は利用している人数も少なく、手厚い支援を受けられることが期待できた。
週に4回の営業日、すべて利用した。
スタッフ3人に対し、うちの子1人だけという日も結構あった。
福祉センターのキチキチと決まったプログラムをこなす感じはほとんどなく、反対に、生活をする中で関わりを持って学ぶ、ゆるい感じ。
当時の私は療育に関する知識がなく、他の施設のこともよく知らなかったのが、かえってよかった。
心から信頼して預けることができた。
自宅まで車で送迎してくれたので、0歳児を抱えていた私は身も心も本当に助けられた。
四男はKで色々な経験をした。
新しくて割と広めな施設だったが、室内だけでなく、あちこちの公園に連れて行ってもらい、たくさん歩いたり遊ぶことができた。
週に一度リズム療育の日もあり、大好きな音楽遊びも楽しんだ。
(やさいのうたが大好きだったな。
こぶじいさんのアンパンマンバージョンも、よく一緒に歌った。)
沢山の絵本を読んでもらい、お気に入りの絵本を見つけた。
はらぺこあおむし、だるまさんシリーズなど。
はらぺこあおむしの歌を覚えたのは送迎車の中で聞いたことがきっかけだった。
(その後、区立幼稚園に入ってからyoutubeで繰り返し聞いているうちに覚えて、「きんよーび」と歌えるようになった。)
朝、車に乗るときに嫌がることは一度もなかった。
行けば楽しいことができると理解していたのだと思う。
今日は何をするのかと、ワクワクしているようにも見えた。
スタッフの方たちは四男の特性をよく理解してくれていた。
しかし、介護の現場と同様、スタッフの入れ替わりが頻繁だった。
よく面倒を見てくれた人が辞めてしまう時は、結構切なかった。
施設長はこの5年間で6人目だそうだ。
施設の不安定さは少しだけ引っかかっていた。
でも背に腹はかえられぬ。預け先が他にない以上、利用するしかない。
四男は通い慣れていたし、そのまま就学までKで過ごすのも悪くない選択だった。
Kの保育士の中に、障害児を持つ保護者でもあるYさんがいた。
Yさんは3人の娘さんのお母さんで、3番目の子が自閉症を抱えている。
当時小学4年生で、うちの四男も通うことになる特別支援学校に通っていた。
私と同世代のYさんには色々な相談をしやすかった。
次年度の就園問題についてもかなり相談に乗ってもらった。
区立幼稚園では介助が必要な子供に介助員が付いて見てくれる。
私立幼稚園を2ヶ月で退園した経験は、私の中で大きな心の傷となっていた。
四男を区立幼稚園に入れて、幼稚園ならではの経験をさせて、できれば卒園まで過ごしたいという思いがあった。
しかし、老舗療育施設M学園を次年度から利用することができるかもしれないと言われ、そちらも行きたいと思っていた。
四男には療育が必要。
療育を優先して受けさせることが大事だということは揺るぎない事実。
M学園を利用できることは確定ではなかった中で、区立幼稚園に挑戦するかどうか、とても悩んだ。
どちらにしても環境がガラリと変わることになる。
通い慣れたKにはほとんど来られなくなるだろう。
Yさんの三女は、M学園に通っていたそうで、生活の中で学ぶという療育だから、Kでもいいような気がすると言われた。
しかし、障害児の先輩ママさんたち、特別支援学校に通っている子はM学園の出身であることが多く、M学園ってどんなところなのか興味があった。
M学園には通う前から安心感があったのだ。
Yさんの長女次女は、うちの近くの区立幼稚園を出ていた。
ラッキーなことに、区立幼稚園の様子についても色々と話を聞くことができた。
介助員が必要な子は毎年一定数いて、そういう子は当たり前の存在なのだそうだ。
区立幼稚園から特別支援学校に上がる子もたくさんいるようで、安心した。
それまで私のイメージでは、普通級に行かせたい親が区立幼稚園を選ぶのかなと思っていたので、そうではない私が区立幼稚園を選んでもよいのだろうかという思いが払拭された。
幼稚園については夫にも相談した。
基本的には私に任せていたが、四男を区立幼稚園に行かせる意味がわからないようだった。
しかし、挑戦したいという気持ちは尊重してくれて、受け入れてもらえるのなら挑戦してみてもいいのではと言ってくれた。
Yさんの話を聞いていると、三女も幼稚園に行かせればよかったという後悔を感じた。
幼稚園にはお世話好きの女の子たちが必ず数人はいるはずなので、身の回りのことを手伝ってもらえるだろうし、介助員がいるのだから幼稚園でも大丈夫だったのでは、と。
私は挑戦せずに後悔するのだけは避けたかった。
だめだったら、Kに戻ればいい。
9月の区立幼稚園の申込みの頃には、週2回は幼稚園で、週3回はM学園で過ごすという計画を立てた。
区立T幼稚園は抽選もなく入園が決まり、介助の必要があるので個別に面談などをした。
副園長との面談では、幼稚園は療育ではないので、利用している療育は継続してくださいと言われた。
T園に入園が決まってから、Kでは幼稚園生活を意識した活動が始まった。
朝の身支度を練習したり、お弁当を一人で食べたり。
私たちの挑戦を応援してくれた。
その頃、私の中高時代の同級生の紹介で、とある福祉専門学校の言語相談室を訪れ、定期的に通っていた。
大人の吃音などを専門としているところで、子ども向けの知育玩具なども置かれており、先生と向き合って課題に取り組み、やり取りの中からコミュニケーションを学んだ。
指差しをするように先生がやって見せたり、人の指示で行動することなどを意識した療育だった。
とても勉強になるやり取りが多々あり、数ヶ月に一度訪れては先生に色々と近況を報告し、先のことの相談にも乗ってくれた。
幼稚園2、M学園3で行く計画にも、とても賛成してくれたし、決まったことを喜んでくれた。
そうして信頼する人たちにも後押ししてもらい、新年度は新しい生活が始まる。
T幼稚園とM学園については次回。